
(オーヤマ重機について)
石川県能美市の地盤調査会社。営業エリアは石川、富山、福井の北陸三県。顧客は、ハウスメーカーなど地場建設会社。創業は平成元年。今年で創立23年目。社員数15名。年商2億8000万円。北陸エリアの地盤調査会社としては「ほぼ中規模」
地盤調査とは、家を建てるに先立ち、土台となる地盤の良し悪しを調べる仕事です。まず地盤の固さを調査、確認し、もしその結果、「地面が柔らかすぎる。このまま家を建てたのでは傾きかねない」と判断されたときは、補強工事を施すわけです。
市況はよくありませんよ。グラフを見れば分かるとおり、平成19年には134万戸あった全国の住宅着工件数が、2011年には68万戸まで減っております。地盤調査の仕事は、基本的に「家が一軒建つごとに地盤調査の仕事も一件」という形で発生するものであり、ということは家の着工件数が半減したことは、そのまま地盤調査の案件数が半減したことにつながるわけです。

最近10年の間は「小泉内閣による公共事業予算の削減」「姉歯事件」「リーマンショック」など地盤調査業界には多くの荒波が押し寄せてきて、弊社の仕事もそのたびに減りました。最近の追い風といえば「瑕疵担保履行法」による地盤調査の義務づけぐらいですが、それとて着工件数全体の減少を補うまでにはおよびません。オーヤマ重機が創業したのは平成元年(1988年)、バブルが弾けた直後であり、立ち上がりこそ良かったものの、考えてみればそれから20年間、市況は悪くなる一方だったような気もします。未来に目を向けたとしても、これから20年後、30年後には、日本の人口(世帯数)はさらに減っていくわけですから、ということは家の着工件数も減少するでしょうし、ということは地盤調査の仕事の総量も減っていくわけです。要するに、市況は今まで悪かったし、今後ももっと悪くなるだろうということです。
よくぞ聞いてくれました。市況は悪くなるばかりですが、オーヤマはただいま絶好調です。平成19年期、平成20年期の年商は、2億2000万、2億1000万と横ばいでしたが、平成21年期は2億3000万と上向き転回、平成22年期は2億8000万とさらに21%増、平成23年期は年商3億、3年前に比べ1.5倍増を見込んでいます。
プロセスマネジメントを導入し、営業を体系化、強化したからです。こちら弊社のここ数年の年商の推移のイメージグラフをご覧ください。

オーヤマ重機は創立から15年の間は、堅実な仕事で信用を得て、順調に年商を伸ばすことができました。しかし、平成15年には小泉改革の公共事業削減で年商が半減するという大ピンチ。その後は根性営業で売上げ減を何とか食い止め、その後、2億円近い設備投資をして、再び売上げを上昇転回させましたが、平成21年のリーマンショックでまたもや下げ基調。根性営業、設備投資の次は、もはや営業力の根本的強化しかないと目覚め、様々な方法論を探し求めていた2年前に、プロセスマネジメントに出会い、これを学び、取り入れ、血肉化することで再び売上げを上昇方向に展開することができました。これからは攻めに転じます。5年後の年商は、現在立てている経営計画にもとづき、平成19年の2倍、5億円を見込んでおります。ちなみにこちらが弊社が取り組んでいるプロセスマネジメントのツール、「顧客星取り表」「ワークブレイクダウンシステム表」の数々です。

オーヤマ重機の顧客星取り表

プロセスマネジメントのノウハウを活用した膨大な書類群
はい、どうぞ。何でもお答えいたします。
わたくし大山は、高校を出ていくつか職を変わった後、21歳のときに地元の土木会社に入社しました。土木は未経験でしたが、入社2年目には現場を仕切れるようになり、その立場からまわりを見回したところ、「なんだ、みんなレベル低いなあ。これならオレが起業したら楽勝だなあ」と思えたので、24歳で退社。オーヤマ重機を設立しました。
手持ちキャッシュは50万円足らず。設備として必要だった800万円の重機は、クルマを売って頭金を作り、残りは割賦で買いました。最初のお客は、会社員時代の取引先の継続です。
一つには、その頃平成年はバブルが弾けたといっても公共事業はまだ多く、仕事は選ばなければいくらでもあったという理由があります。もう一つは、わたしは昔から回りがいやがる危険な作業、たとえばパワーショベルに乗って山の高所で作業するような、一つ間違えばショベルごと転げ落ちて命を落とすような仕事でも平気で引き受けていたので、重宝がられて仕事が来たのです。
いや、そういう話ではない。みんな仕事を難しく考えすぎているんですよ。たとえば幅10センチの平均台でも地上から高さ50センチなら誰でも渡れるでしょうが、これが高さ2メートルになるとなぜだか怖くて渡れなくなってしまう。でも僕は渡れるんですよ。危険な作業が平気でできたのもそれと同じ感覚であって、私は危険な場所にいてもリスクを感じないのです。
起業して二三年経ち「公共事業もいつまでもあるわけじゃない。今の仕事はこの先つづかないよなあ」とふと思っていたちょうどその頃、ゴルフ場の造成の仕事が舞い込み、ここで地盤調査のノウハウをマスターし、「今からの時代、これかな」と何となく確信できたので、今の仕事に業態転換した次第です。設立5年目には社員も3人に増え、12年目には年商も1億5000万で社員も8人と、ここまでは割合にトントン拍子で、仕事は勝手に向こうから来る状態、営業なんてしたこともありませんでしたが、しかし平成15年にはいきなり年商が半分の7500万円まで落ちてしまったのです。
きっかけは小泉政権による公共事業削減ですが、本当のところは環境の変化を読めなかった大山の経営者としての甘さが原因です。外の環境はどんどん悪い方向に変わっているのに、自分は相変わらず極楽トンボのお気楽ぶり。仕事の絶対数が減っているにも関わらず、テコ入れ営業もしないままのほほんとしていたら、いち早く危機に目覚めた競合がやってきてオーヤマの仕事を根こそぎかっさらっていったのです。そして年商が半分に落ちこみました。
恥ずかしながらまず人員削減、血止めをいたしました。その後、残った社員4名みなで集まって「このままだとつぶれる、どうする?」と話し合い、「とにかく営業するしかない」という当たり前の結論に達し、いやいやながら新規開拓の営業を始めました。
めいめい手分けで会社訪問を月に100件ほど。半分は知り合いの会社にいきましたが、もう半分は完全な飛び込み営業です。
それはもう、訪問してですね 「いや~、あの~、仕事ないですかね~」と聞いてみて、ほとんどは 「いや~、今ねえなあ」と断られるわけですけど、中には「大山がいま困ってるのなら助けてやるか」と仕事をくれる有り難い社長もいらっしゃいました。でも知り合い訪問なんてすぐに回り尽くしちゃいますしね。となるともはや飛び込み営業しかない。
漠然とタウンページを見たり、通りがかりで見つけた○○建設に飛び込んでみたり、ありきたりのやり方です。基本はピンポン営業、とにかく事務所に入って、カウンター越しに「すいません、オーヤマ重機です」と挨拶して、たいていは追い返されるんですけど、たまに担当者と会えますので、そうなりましたら「仕事ないですか?」と聞いてみるという、とにかく特別な技術も趣向などカケラもない、ひたすらなる根性営業を行っておりました。

いやでしたよ。それまでやったこともなかったし、自分には不向きだと思ってたし。でも、やらないとつぶれるわけだから、これはもう引きこもっているわけにはいかない。無理やり自分を盛り上げて飛び込みを続けました。芸のない根性営業とはいえ、やってみれば何とかなるもので、それから3年は売上げは7500万円前後でほぼ横ばいには保てました。
いや、それが良くないんですよ。無理やり受注しているから、社内体制が追いつかなくて後でクレームになったり、収益性の悪い仕事ばっかり増えて貧乏暇無しになったりしてね。でも、あのとき根性営業してなかったら今ごろオーヤマ重機は消えてなくなっていたでしょうね。このがむしゃら時代を3年続けた後、次は設備投資をしました。
一台6000万円の柱状機械3台を購入しました。「これからは柱状工法が来るな」と新時代の技術の変わり目を感じとりましたので。
全額、銀行からの融資です。わたし、銀行の人にはウケがいいんです。ちゃんと説明しますから。設備投資は読みが当たって売上げは再び1億5000万円まで盛り返しました。やれやれ、これでツラい根性営業にもおさらばできるとホッとしたのもつかのま、またガクンと下がっちゃいました。
姉歯事件。あれのおかげで建設省の審査が厳しくなって、着工寸前の案件がせき止められて、仕事がピタリと止まってしまった。売上げは再びガタ減りです。
根性営業はやった。設備投資もやった。それでも売上げが減った。となるともう営業力の根本強化しかないでしょ。これまで何の方法論も無しにやみくもにやっていた営業にピシっと背骨を通すなどして根本強化するしかないと、創立21年目にしてついに本格的に営業に目覚めたのです。
それから様々な営業システムを探し求めまして、その中で偶然出会ったのがソフトブレーン・サービスのプロセスマネジメントです。プロセス(工程)を分割して定義してマネジメント(管理)するというこのやり方は、方法論というものに飢えていた当時の自分には大変しっくりなじんだので、これはもうとにかく勉強して、四の五の言わずにいったん染まってみようと決意しました。そうして平成21年秋にプロセスマネジメント大学を修了し、そして冒頭お話ししたとおり、様々な表を作って、実践し、ついには売上げを2億8000万円にまで引き上げるに至ったのです。
一つの例としては、PM大学で学んだ「営業マン別の星取表」を応用転用して、「顧客星取り表」なるオーヤマ独自仕様の表を作りました。この表では、自社の既存顧客と見込み客を、1):お得意様(丁寧に仕事をしていればリピートは固い既存顧客)、2):お得意様候補(もっと積極的に仕事をして、競合からシェアを奪うべき既存顧客)、3):代理店(顧客を持っている顧客)、4):それ以外、というように分類しております。
1)の「お得意様」については、見積を出せば95%の確率で受注に至る馴染み客ですから、こちらにはヘンな営業よりも実際の工事品質の向上の方が重要。一つ一つの仕事をミスなく丁寧にとり行い、品質を平準化することが次の受注につながります。そのために活用したのがプロセスマネジメントのWBS、ワークブレークダウンシステム。本来は営業(売る)のための仕組みであるWBSを、ウチでは工事(やる)の方にも応用して、工事品質を高位平準化しました。
これまではお得意様の仕事は、互いにカンと経験、あうんの呼吸でこなしておりまして、これは悪くすると工事品質のムラにつながりますが、WBSを導入したことで、やるべき仕事内容がきっちり分割、定義され、ヌケ・モレを防ぐ仕組みができあがりまして、このWBSは得意先にも大変、好評です。
次に2)の「お得意様候補」ですが、こちらは見積から受注までの確率が約50%であり、つまり残り半分は競合に仕事を取られているわけですから、ここに対しては提案営業を積極的に行う必要があります。我が社の未来の飛躍のカギを握る顧客群といえるでしょう。

第一に、商品の価値提示ができるようになりました。飛び込み営業の時代は、「何か仕事ありませんか?」と言ってまわるだけ、設備を入れた後は「ウチこういう設備がありますから」と言うだけで、何の価値も伝えられていませんでしたが、今はまず顧客の困っていることをヒアリングして、「だったらウチならこうしてああして解決できますから」と価値ある提案ができる、相手のかゆいところをかくことができるようになったわけです。もしやこうした価値提案営業は、他の進んだ会社では当たり前にやっていることかもしれませんが、土木建設業界は遅れてますからね。これができるだけでも競合に対し相当に優位に立てます。
第二は、組織営業ができるようになったことです。昔は社長の私がアポもとらずに客先に言ってあれこれ話してただそれだけでしたけど、今は営業マン3人と共に方針を以て計画を立ててメリハリをつけて営業活動ができております。
第三に、私の営業スキルを営業マンに伝達できるようになりました。むかしは自分がやっていることが自分でよく分かっていないので、どうにも社員に伝えられなかった。でも今はプロセスマネジメントを通じて、自分の営業行動を細かく分割・体系化できましたので、今や筋道立てて社員教育ができるようになりました。私が感覚でできていたことを、ついに社員に伝えられるようになったわけです。
「教えられたままやる」ではダメ。自分の会社、自分の業種に自分で合わせて自分でアレンジしないといけません。「四の五の言わずに染まってみる」っていう素直さは必要なんですよ。でもそれと同時に「自分なりにアレンジする」という姿勢も必要。一番ダメなのは「言われたとおりにやりさえすればいい」という考えになって自分の頭を使わなくなることです。「四の五の言わずに染まってみる」と「自分なりにアレンジする」というのは矛盾しているようで、姿勢が主体的な点は共通していると思うんですよ。一方、「言われたとおりにやりさえすればいい」というのは言葉づかいからして頭を使っていないというか人任せというか依存的ですよね。依存的な態度は絶対にダメです。
私としてはプロセスマネジメントはいい仕組みだと思うけど、逆に言えば仕組みでしかないというのが欠点だと思いましてね、「人を主体的にさせる」「やる気のスイッチに火をつける」という行動喚起の要素が欠けているわけです。プロセスマネジメントには。
ですから私は今度プロセスマネジメントの講師をやります。講師で儲けるとかそういう話じゃなくて、このすごい仕組みに、「行動喚起」という付加価値を無性に加えたくなりまして、今やる気まんまんです。これに成功すれば、自社の業績向上ができるだけでなく、北陸の中小企業ぜんぶをこのプロセスマネジメントで元気にできると思うんですよね。プロセスマネジメントに魂を吹き込む、そして自社の目標5億という営業目標を達成し、さらに北陸全部を元気にする、これが今の大山秀司47歳の掲げる目標です。

これからも前進あるのみです!
オーヤマ重機様、本日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。
※ オーヤマ重機のホームページ
※ 取材日時 2011年3月
※ 事例記事内の数字はいずれも取材時のものです